お彼岸も終わり「中秋の名月」の頃。これは、中国から平安時代に遣唐使によって日本に伝えられ広がったようです。貴族たちが「月」を眺めながら宴を楽しむという鑑賞する意味合いが強かったようで、京都の桂離宮も水面に映る月をいかに鑑賞するか沢山の工夫がなされています。江戸後期には庶民が収穫に感謝し、団子や栗や芋などのお供え物をしてお月見をするようになったようです。月に対する感謝の気持ちの表れが慣習化されてきました。四季折々の自然の風景を愛で着物の図案意匠にして身にまとうことでも、日本人の「自然との共存共栄」の心根が伺えます。その精神を絶やさないためにも「きものリメイクドレス」を広めていきます。写真は、京都八坂神社の節分祭に招かれ平安貴族の公達に扮した私。十二単と聞いてましたけど 。。。
中秋の名月
2015/09/26
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